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第1回・第一巻「四 知」〜 楊震(ようしん・54年 - 124年) [三国志]

「四知(しち)」
 とは、四者が知る、とういうことである。

 では、四者とは何であるのか。またその四者が何を知るというのか。 

 その四知という訓言(くんげん)を遺(のこ)した人物の生死が、きたるべき時代の祅変(ようへん)と祉福(ちふく)とを予感させているようにおもわれるが、どうであろう。

 ここでいう人物とは、
 楊震(ようしん)
 である。

このようなくだりから、宮城谷氏の三国志は始まる。ちなみに「祅(よう)」とは災い、「祉福(ちふく)」は幸いの意味なので、ちょっと訳してみます。

三国志を書き始めるにあたり、四知という言葉を残した楊震の人生をみることから始めるのが、これから起こるマイナスとプラスの出来事を予感させていてふさわしいと思うのですが。あなたはどう思われますか?

(唐突にそう問われても、読者はとまどいますが。)
(これこそが宮城谷氏の文体なので。先へすすみます。)

(先ずは、楊震の先祖(楊喜)と父(楊宝)の解説挿話で始まるが省略。)

楊震(ようしん)は幼くして太常の桓郁(かんいく)から欧陽尚書(おうようしょうしょ)を学び、経書(けいしょ)に明るいことで「関西の孔子」とまで賞賛されたが、父(楊宝)と同様に州郡からの誘いを断り続けた。

仕官せずに農耕するその暮らしぶりが、人々からは晩暮(人生の夕暮れを迎えている)と囁かれるほどに官界へ背を向け生きていた。

しかし宮城谷氏の想像の筆はこうつづる。楊震はいつか高名になりたいと強く願っていたはずで、その顕揚欲を隠しながらの隠遁生活は、真に隠れることで高名となった厳光(げんこう)や梁鴻(りょうこう)の真似にすぎないのではと、自らの曖昧さと矛盾に深く悩み絶望していたのではないのか。

(※ここで、厳光と梁鴻の挿話及び、さらに梁鴻の死去につなげた要離(ようり)による慶忌(けいき)暗殺のエピソードが挟まれるが省略。)

そんな楊震にとって「あの孔子でさえ50歳になって天命を知った」のだ、だから「私も50歳になればきっと道が拓かれる」と、そう信じ続けることだけが自尊心を守る手だてではなかったかと、そのように宮城谷氏の想像はふくらむ。

はたして楊震は50歳になって隠遁生活に終止符を打ち、州郡に仕えることを決心する。そのことが大将軍の鄧騭(とうしつ)による茂才への楊震の推挙につながり、その後官職を移りながら荊州刺史(けいしゅうしし)になり、ついには東莱太守(とうらいたいしゅ)へと昇進する。

この章のタイトル「四知」とは、楊震が東莱の任地に赴く道中、山陽郡昌邑(しょうゆう)にて荊州刺史時代に茂才に挙げた人物(王密)からひそかに金品を渡された際に「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。」との言葉を発しその受取りを拒絶し、清廉な姿勢を貫いたとの故事による。

その後、東莱太守から涿郡(たくぐん)太守に転職し、元初4年(117年)に楊震は召喚されふたたび中央に戻った。

その頃宦官(かんがん)の従官となっていたひとりの少年(曹騰・そうとう)の孫こそが、後の曹操であると記されこの章は終わる。

〜「四 知」三国志第一巻 (11-40頁)<次へ>



三国志 第一巻三国志 第一巻

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コメント 2

taharas

今年もどうぞ宜しくお願い致します!(^^)!
by taharas (2015-01-01 17:14) 

NorthPoint

taharas さん
いつもありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
by NorthPoint (2015-01-02 15:00) 

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