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147年 [三国志・年表]

147年:建和元年
・皇帝:桓帝(16歳)
・皇后:梁皇后・瑩(えい)(梁太后、梁冀の妹)(梁女莹)
・太后:梁太后・梁妠(どう)(梁商の娘)(摂政)
・将相大臣:梁冀(大将軍・録尚書事)・張貢(護姜校尉)
・三公:杜喬→趙戒(太尉)・袁湯(司徒)・胡広(司空)
 
・梁冀に益封があり、一万三千戸が加増される。

・梁冀の弟である不疑(ふぎ)は潁陽(えいよう)候に、その下の弟である蒙(もう)は西平(せいへい)候に、梁冀の子の胤(いん)は襄邑(じょうゆう)候に封ぜられる。

・曹騰は亭候(費亭候)に報ぜられる。
(このとき亭候となったのは、長楽太僕の州輔や中常侍の劉広など6人)

二月:
・荊州と揚州(扬州)で餓死者多数。

六月:
・光祿勲(こうろくくん)である杜喬は大尉となる。
・梁冀が、梁太后の妹である瑩(えい)を、掖庭(えきてい)にいれる。

八月:
・(乙未の日)に、梁冀により瑩は桓帝の皇后となる。

九月:
・(丁卯の日)に、帝都に地震。
・梁冀の上奏により、杜喬は大尉を罷免され王朝から斥退される。

・甘陵の劉文(りゅうぶん)が南郡出身の劉鮪(りゅうい)と交誼をもち、清河王をかついで王朝を牛耳ろうと企望し、「清河王はまさに天下を統(す)べるべし」といううわさをひろげる。

十一月:
・清河王の謀臣である謝暠(しゃこう)は、中央に謀反と誤解されるのをおそれ、うわさのでどころである劉文の逮捕を命ずるが、逆に劉文たちに王宮の司馬門におしかけられ、そこへでむいた謝暠は殺害される。
・王朝の有司が事件を知り「清河王にふとどきの事あり」と梁太后へ劾奏する。
・梁太后は、清河王を尉氏(いし)候に貶とす。
・桂陽(荊州の最南端)にうつされると知った清河王は失意のなか自殺する。
・兗州・陳留郡の盗賊である李堅が皇帝を称するが、誅される。

・梁冀の誣奏(清河での陰謀に加担)により、李固は逮捕され死刑となる。(享年54歳)つづいて、杜喬も謀反人として獄中にて誅殺される。

・梁冀は、李固と杜喬の死骸を城北の四衢(しく)に曝し臨哭者を処罰すると恫したが、汝南出身の郭亮(かくりょう)と南陽出身の董班(とうはん)は懼れず臨哭する。その報告を受けた、梁太后は憐れみ、李固の帰葬を許し、また桓帝も董班を称め帰葬を聴許する。

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三国志 第二巻 (文春文庫) 三国志 第二巻

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