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165年 [三国志・年表]

165年:延熹8年
・皇帝:桓帝(34歳)
・皇后:鄧皇后(没)→竇貴人
・将相大臣:
・三公:(太尉)楊秉(没)→陳蕃・(司徒)・(司空)
・曹操(10歳)・孫堅(9歳)・劉備(4歳)
 
・楊秉が亡くなる。
・色を嗜んだ桓帝により、宮女の数が徐々にふやされ、この年(延熹8年)には、その数は五、六千に達する。
・美貌と美体を嗜む桓帝は、容色の衰えのめだつ鄧皇后を突然廃し、掖庭内にある暴室へ送り幽閉したため、鄧皇后はほどなく憂死する。
・外戚を恐れる桓帝により、鄧氏一門の高官はみな下獄させられて誅殺される。
・皇后がいなくなった桓帝は、後宮を渉猟し、美貌の女体をもつ宮女を捜しはじめる。

・護姜校尉の段熲(段颍・だんけい)により、春から秋までの戦いで西方の姜族がうち砕かれる(斬首は二万三千級、捕虜は数万人)。この大功により、段熲は都郷候に封ぜられる。

三月:
・宛陵の豪族である(北海太守であった)羊元群(ようげんぐん)の悪事(太守を退官する際の賄賂)を調査したことで、李膺が河南尹から苦役囚に貶坐(へんざ)される。

六月:
・桂陽の胡蘭(こらん)と朱蓋(しゅがい)が叛乱、郡と県を寇略し、郡境を越えて零陵郡に侵入する。
・零陵太守の陳球(ちんきゅう)がこれを禦(ふせ)ぎつづける。
・朝廷は、中郎将の度将(どしょう)と長沙太守の抗徐(こうじょ)を派遣し賊軍を撃たせ大破する。胡蘭と朱蓋は斬られ、三千余首を挙げる。

・零陵の南隣の郡である蒼悟(そうご)の太守の張叙(ちょうじょ)が賊の捕虜となり、桂楊太守の任胤(じんいん)は城を棄て逃走したため、ふたりはみせしめに棄死される。
・賊を全滅させたとした度将の報告に疎漏があり、とりにがした胡蘭の残党が蒼悟郡へはいる。これを交州刺史の張磐(ちょうはん)が撃破したため、賊兵は荊州にひきかえした。
(報告にいつわりがあれば武功に傷がつくことを恐れ、度将は朝廷へ「蒼悟の賊が荊州へはいった」と張磐に罪を衣せるが、その嘘がばれ有罪となる。)

・後宮の美女捜しに余念のない桓帝は、ついに田聖(でんせい)という美女をみつけ耽溺する。
・桓帝は、田聖を皇后に立てようとするが、三公九卿が難色を示し、司隷校尉の応奉が上書して諫め、大尉の陳蕃(ちんばん)とともに竇貴人を皇后へ立てるよう進言する。

十月:
・桓帝は不本意ながら、辛巳(しんし)の日に竇貴人を皇后に立てる。

・応奉の桓帝への上書により、李膺、馮緄(馮绲・ふうこん)、劉祐が免罪され、李膺はほどなく司隷校尉を拝命する。
・すぐさま李膺は、小黄門の張讓(ちょうじょう)の弟で野王県の令である張朔(ちょうさく)の不正を調査し逮捕、死刑とした。
(この一事により、宦官たちはふるえあがり、李膺の名は天下にしられるようになる。)
(天下の士は争うように李膺に面会を求め、それを許された者は、「龍門に登る」とたたえられ、無名の者が李膺に認められ有名になることを「登龍門」と呼んだ。)


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