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167年 [三国志・年表]

167年:永康元年(延熹10年)
・皇帝:桓帝(36歳)没
・皇后:竇貴人
・将相大臣:
・三公:(太尉)・(司徒)・(司空)
・曹操(12歳)・孫堅(11歳)・劉備(6歳)
 
・このころ黄門北寺獄につながれている者への、中常侍の王莆(おうほ)によるとりしらべが凝滞する。
(じつは李膺の口から党人として宦官の子弟の名が吐きだされ、宦官があわてはじめたからである。)

六月:
・多くの宦官が桓帝に大赦を請い(庚申の日)ついに天下に大赦令が下り、同時に改元がおこなわれる。
(拷問に耐えた李膺、范滂らは獄からでることになるが、終身禁錮がいいわたされる。)
(中国史では、これを「第一次党錮事件」と、いう。)

・党錮により、王朝から良臣がいなくなる。
・そこで桓帝の外舅である竇武(とうぶ)は賢人を推挙する。
(沛の朱㝢(しゅう)・勃海の宛康(えんこう)・会稽の楊喬(ようきょう)・陳留の辺韶(へんしょう)が辟召される。)


十月:
・隴西群臨洮県の出身である董卓(とうたく)・あざなを仲穎(ちゅうえい)が、羽林郎に選抜される。
(武勇あり、と認められた董卓は司馬となって、中郎将の張奐(ちょうかん)に従い、尹端(いんたん)とともに并州征伐に行く。)
(張奐の征伐が成功する)

・桓帝が疾を得て、おきあがることができなくなる。

十一月:
・桓帝の疾病がますます篤くなる。(有司百官が皇帝の死を予感しはじめる。)
・桓帝は女のことしか考えられず、田聖(でんせい)ら九人の女の貴人への格上げを命じる。

十二月:
・(丁丑の日)桓帝が徳陽前殿で崩じる。
・翌、(戊寅の日)竇皇后は皇太后となり、臨朝することになる。


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